人の一生における所得と資産の関係を試しに表にしてみました。
図中の半渦巻き型の曲線を人の一生と考えます。スタートは原則的に所得ゼロ、資産ゼロです。人によっては資産家という幸運の星の下に生まれることもありましょうが。
社会人となって稼ぐようになると、所得は増大しますから線は上昇します。同時に所得が高くなると資産も少しずつ蓄えられるようになりますから、線は次第に右へ傾きます。そして所得がピークを打つと、はじめは余力で資産も少し増えますが、次第に所得低下と同時に資産も減少していきます。所得があるレベルを割り込むと資産を食っていきますから、その減少は急速に進み、スタートの位置へ近づいていきます。概ね人の一生における所得と資産の関係は、このようなものだろうと思います。そこに具体的な年齢をあてはめてみるならば、20歳代では@ゾーンの位置でしょう。30歳代〜40歳代でAのゾーンとなり、50歳代〜60歳代の成功者はBゾーンとなります。そして、リタイアした60歳代〜70歳代以降はCゾーンから@ゾーンに向かいます。
私の知人の地質学者にこの話をしましたら、この考え方は地質学の「Clock−WiseのT−P−t path」と同じであるといわれました。縦軸の所得が圧力、横軸の資産が温度、時計廻りの半渦巻き型の曲線が時間の進行となり、地表の岩石が何万年何億年かけて地中深く沈み込み、それによって圧力がかかる、すると若干の時間差をとりながらその岩石の温度が上昇する、そして、逆にその岩石が地表へ向かって浮かんでくると、圧力は下がり時間差をおこして温度も下がるといった「岩石」のライフサイクル図なのだそうです。人間のライフサイクルが自然界の法則に似ているというのは興味深いことでした。
さて、このような人の一生、つまりライフサイクルを、不動産とくに住まいの側面からみてみましょう。20歳代で結婚したばかりの時は、1DKか、良くて2DKのアパート暮らし、30歳代〜40歳代となって初めてマンションを購入、50歳代〜60歳代となり今までのマンションを売却、郊外に戸建てを買い替える。幸いにして、更に所得が向上すれば、もっと大きな家に買い替える、あるいは別荘を買う、またはアパートの一軒も買う、といった状況となります。そして、リタイアして所得が低下したら、年金だけをあてにせず、今まで蓄えた資産の運用で生活していくことになります。
この資産の運用という中には、所得が高かった時代に買った不動産を売却するということも含まれます。あまり使わない別荘を売却し、老夫婦だけの住まいとして大き過ぎれば、もう少し小ぶりの家へ住み替えて売却差金を出し、それを生活に充てるといったふうです。
このように、人の一生における不動産は、その個人の年齢と所得に応じたライフスタイルの舞台となります。そして今の日本では、フローとしての所得をストックとしての資産とする場合、そのほとんどは不動産、主に個人の住まいに注ぎ込まれます。日本人の資産の8割が不動産であると言われている所以です。
ライフサイクルにおいて、20歳代からリタイアの60歳代までは、多くの場合、皆頑張って上手に@ゾーンAゾーンからBゾーンへと上がってきます。しかし、一般的にみて、所得が低下してきたリタイア後の身の振り方については努力も工夫も煩わしくなってくるようです。つまり所得が低下してCゾーンに入ってきても、生活を切り詰める方向だけ見て、それまで増してきた資産を少しずつ手放しながら生活の豊かさを楽しもうとはお考えにならないようです。確かに、不動産を売るということはなんとなく不安で、しかも一見生活が低下する印象を与えるでしょう。しかし、その時にいちばん暮らし易い生活の舞台を、その時その時の状況や事情によって変えていくことは、サイクルの中のライフを深める意味でも大切なことだと思うのです。一生のうちで最も強かった、50歳代〜60歳代の時に手に入れた大きな住まいに、年金生活に入った老夫婦が資産はあるのに、あるいは資産の運用が可能なのに、ただ細々と暮らしている、そんな風景によく行き当たります。
現役の時は、職住は近接している方が良いと思って選んだ住居も、Cゾーンのリタイア後には、その必要は無し、経済的側面からみるならば住まいを買い替えることがより良いのです。職住の近接している今までの住居を売って、もう少し郊外へ転出するならば、それぞれの価格の差から、同じ大きさの家なら売却差金が出るでしょう。この売却差金は老後の暮らしにゆとりをもたらしてくれる種子ともなるのです。
フローの所得の多い人生の前半ではフローのストック化を進め、フローの所得の少なくなった人生の後半ではストックのフロー化を行って、ゆとりのある老後の人生を満喫する、このフローとストックの自在な転換を図ることが、個人にとっての経済生活の、その豊かさの根本にあるものなのです。
むろん、ストックのフロー化と言っても、例えば上述の一例だけをとってみても、それは良いことだと分かっていながら、実行に一歩を踏みだすのに躊躇させる因子がいくつもあることは申すまでもありません。
第一に、社会全体がこうした価値観を受け入れるのに十分熟していないかも知れません。今の日本の社会では不動産を売ることは、少々マイナスの印象を与えます。もともと農耕定住民族であるということが原因となっているのだろうと思います。
第二に、住まいを移るということは、今までの地域社会のお付き合いの大半を、同時に失うことにつながりかねません。「ゆとりのある老後の人生」とは、単に経済的側面ばかりではなく、むしろ、その本人をとりまく人間関係があって初めて実現できるのですから。
第一の因子についていえば、「住まい」は「持ち家」だけではない、「持ち家」を買えないから「賃貸住宅」なのだというのではなく、本人のライフサイクルに合わせて家もリースでいくといった新しい考え方もあると思います。こうした住まいに対する価値観の多様化が進めば、老後の生活設計も今よりずっと充実したものになるに違いありません。
第二の因子についていえば、人間関係を維持し大切にしていく方法は、その人達の近所に住むということだけとは限りません。近所であるということは、確かに物理的にお付き合いしやすいことではありますが、人間関係すなわち「縁」は、この「地縁」だけではなく「血縁」もありますし、もとの職場での縁もあるでしょう。また趣味の縁もあります。「袖ふれあうも他生の縁」といった「縁」もあります。
仮に、どうしても失いたくない「地縁」ならばその地を離れても積極的に付き合う方法はないわけではないでしょう。また、移り住んだ新しい地の「地縁」にも前向きに縁を結んでみてはどうでしょうか。人生の素晴らしさの一つが人と人との関係のなかにあるとしたら、住まいの移転を、今までの人間関係の見つめ直しと、新しい人間関係の創出との機会とすることもできるかも知れません。
(株)ハート財産パートナーズ 林 弘明 |
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